Junsan's Scrap Book


最後の話者が死亡、消滅危機言語が絶滅 インド・アンダマン諸島のボ語

abworks:

言語は辞書と文法をデータ化しても保存した事にならないからなあ。話す人と聞く人がいてこそ言葉

Via abnote

193 名前: 錘(東日本) 投稿日: 2009/12/04(金) 14:36:59.74
前、新宿歩いてたら柳沢慎吾に出くわしたんで、
「ファンです。いい夢見ろよって言ってください」って言ったら、
もごもご独り言のようなことを言った後、「・・今はプライベートなんであの・・その・・」
なんて言われた。本当はすごく人見知りでシャイな人らしい。
諦めて「じゃ、いいです。すみませんでした」って別れて、
しばらく歩いてたら後ろからでっかい声で「いい夢見ろよ!あばよ!」
って顔を真っ赤にして柳沢慎吾が叫んで走っていった。
あれから柳沢慎吾がテレビに出てるとチャンネルを変えられなくなった。

いい夢見ろよ 続・妄想的日常 (via yasunao) (via fyfyfy) (via jinon) Via scrap book

うつ病ってのはあれだな。
すげぇ無力感に包まれるんだよな。
もう「俺がなにやってもムダだ」って気がしてくる。
日本でうつ病が増えてるのは当然だろ。
一回リストラされると社会からつまはじきになる感覚があって、
これから生きていける自信がなくなるんだろ。

うつ病の人が急増、100万人を超す…10年で2.4倍 - テラニュース (via kyohei28)

もう一度人生をやり直せるなら・・・・

今度はもっと間違いをおかそう。

もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。

絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。

この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。

もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。

もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。

もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。

もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。

もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。

もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。

もう一度人生をやり直せるなら・・・・

だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。

私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?

自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・

もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。

人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。

ピーター・ドラッカー95歳の詩 – Apelog (via jinakanishi) (via oosawatechnica) (via ak47) (via theemitter) (via fukumatsu) (via vichy) Via HIMAZINE

例えば自分は勝間よりもいい言葉を知っているし、コラムを書く能力があるのに、その機会がない、自分の能力が認められていない、という無意識の不満があり、それが相手(私)に対する批判という形で表れるのです。  実際、私にも心当たりがあります。自分がコンサルティングや経営分析をする際に、特に自分が詳しいサービスほど必要以上に批判的で、非難的になるのです。  なぜなら、知見が多いために穴も見えやすく、ついついあら探しをしてしまったり、欠点を考えたり、うまくいかないのではないかと突っ込んでしまったりします。  これはすなわち、「自分の専門知識を相手にわからせたい」という承認欲求の裏返しなのでしょう。

asahi.com(朝日新聞社):批判は認められたい欲求の裏返しである - 勝間和代の人生を変えるコトバ - ビジネス・経済 (via kogure) (via otsune

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おお

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Via クプヲ

自殺すること禁じます
作家・石田衣良さん

石田衣良さん
 これからほんとうのことだけを書きます。ぎりぎりに追いこまれた人には、理想や慰(なぐさ)めより真実のほうが救いになることがあるからです。

 日本ではすべての集団でいじめがあります。教室だけでなく、職員室でもPTAでも変わりありません。学校を管轄(かんかつ)する文部科学省でも、教育基本法を審議(しんぎ)する国会でも、いじめはきっとあることでしょう。

 連日いじめキャンペーンを張っているメディアでも変わりません。テレビ局にも新聞社にも出版社にも、いじめは絶対的(ぜったいてき)にある。それを客観的(きゃっかんてき)に認められない人は、記者としての適性を欠くくらいです。

 だれもがいけないといういじめがなくなる気配はありません。あなたは、今日もいじめられるのがわかっている学校にむかわなければならない。とてもつらいことでしょう。ぼくにはなにも、あなたにできません。すごくくやしくて情けないけど、なにもしてあげられないのです。

 ただぼくはあなたが自殺することは禁じます。あなたはあなただけでなく、たくさんの人の思いを受けて生きている。いまのあなただけでなく、未来のあなたにも責任がある。状況(じょうきょう)は厳しいかもしれない。でも、永遠(えいえん)には続かない。

 むかし、ニーチェというおかしな哲学者がいいました。「あなたを殺さないものは、あなたを強くする」。強くなってください。まわりの正しいオトナたちより、もっと大人になってください。死んだふりをして、苦しい時間を生きのびてください。そして、いつか笑いながら光のなかを歩いてください。あなたが生きていることが、きっとだれかの力になる。その日は必ずやってきます。

(朝日新聞2006年12月7日掲載)

asahi.com :教育 - いじめられている君へ

まともなことを書いてる。ふう、驚いた。

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